コンテンツへスキップ

アイヌの歴史

AINU HISTORY

屈斜路(くっしゃろ)には、いまもアイヌの人々が暮らすコタン(村、集落の意味)があります。昔から屈斜路ではアイヌの人々が生活を営んできました。アイヌの歴史や文化を学ぶことができる施設「屈斜路コタンアイヌ民俗資料館」もあります。

かつての屈斜路コタンにおけるアイヌの人々の生活風景。
「池の湯」
アイヌの衣装。アイウシという刺繍の文様は、魔除けの意味がある。

この地に湧き出す温泉を、アイヌの人々は生活のなかで自然と利用してきました。このエリアにある「池の湯」という温泉(野湯)は、つい50年ほど前までここで暮らす人々のお風呂として、日常的に利用されていた温泉です。コタンと「池の湯」を結ぶ湖畔の道は、かつてはアイヌの人々の生活の道でもありました。

また活火山として有名な屈斜路の硫黄山は、アイヌ語名のアトサヌプリ(「アトサ=裸」の「ヌプリ=山」という意味)という名前でも親しまれています。このように今もアイヌの生活や文化がこの地に多く残っています。

屈斜路コタンのことが初めて文献に登場したのは1859年(安政6年)。江戸幕府の命令で、北海道内をくまなく調査していた松浦武四郎による『久摺(くすり)日誌』です。記述によると、このコタンには当時7軒の家があり、そのようすを「湖水を背にして家が立ち並ぶ風景は、言いようのないほどすばらしい」と絶賛しています。

また、地元のアイヌの案内で湖上に出た武四郎は、「汐ならぬ 久寿里の湖に 舟うけて 身も若がへる こゝちこそすれ」という歌を詠みました。湖畔には、その歌が刻まれた碑が建っています。碑の近くには、アイヌの人たちのヌササン(祭壇)や、子クマを飼育するための檻なども見ることができます。

「屈斜路コタンアイヌ民俗資料館」では、地元のアイヌの人たちの生活ぶりや、独特なエゾシカ猟のようす、アイヌの人たちにとって最も重要な儀式であったヒグマのイオマンテ(霊おくり)を撮影した貴重な映像などを見ることができます。