文:斎藤敬子 写真:斎藤敬子、國分知貴、函館市中央図書館 編集:MKTマガジン
屈斜路コタンに暮らし、屈斜路をこよなく愛する齋藤敬子さんによる「カムイ」にまつわるエッセイ。カムイとは日本語の「神」を意味します。アイヌの人々は、あらゆるものに「魂」が宿っていると考え、例えば植物、動物、火、水、道具でさえ、それらすべてがカムイ(神)なのです。
今回の記事はその第三弾。アイヌが格の高いカムイとして特に崇めてきた「コタン コㇿ カムイ(集落の守り神=シマフクロウ)と「キムンカムイ(山の神=ヒグマ)」に迫ります。屈斜路という土地と二大カムイとの関わりや歴史、そのストーリーを知る敬子さんならではの内容。必見です。
カムイと名のつく基準
アイヌイタㇰ(アイヌの言葉=アイヌ語)で「アイヌ」とは、「人間」を意味しているそうです。その対比語として位置づけられるのが、「カムイ」とされます。
アイヌにとっての「カムイ」 それは動物や植物だけでなく、自然現象や道具に至るまで表される…ということは割と知られるようになってきたかもしれません。日本語訳として用いられる「神」というニュアンスが強く受け取られると、やはり違和感が生じます。
何か特別な種としての存在を指しているのではなく「一つひとつ、それぞれがカムイである…」というのがアイヌの考え方です。つまり、生活をするうえで接することになるほとんどのものがカムイということになりそうですね。
とはいえ、やはりカムイとは呼ばないものも存在するようですので(たとえばエゾアカガエルやサンショウウオなど)、その線引きはなかなか難しいと言わざるを得ません。ある程度の基準としては、人間にとって役に立つものや人間の力の及ばないもの…といったところでしょうか。
アイヌとカムイの関係性
そして重要なのは、アイヌとカムイは対等だという向き合い方です。尊敬の念を抱きつつも、お互いに有益な部分を与え、受け取り合う関係なのです。とくに生き物は、もともと天上のカムイモシㇼ(アイヌ語で「神の国」)にいるときは人間と同じような恰好で暮らしており、毛皮や肉をまとってヒグマの姿になったり、キタキツネの姿になったりしてアイヌモシㇼ(アイヌ語で「人間の住む大地」)へ下りてくる…と信じられています。
「人間が動物や植物を選んでいるのではなく、動物や植物の方が人間を選んでいる」
この考え方を初めて聞いたときは衝撃を受けました。動物たちは毛皮を衣類や道具として、肉を食用として、樹木たちは舟や家を造るための材料として、山菜たちは食用や薬用などとして、たったひとつの大切な身体を提供するのです。ぞんざいに扱われては困るのです。
「この人なら、私の身体を余すことなく有意義に使ってくれる」という相手を選ぶのだと。だからこそ、アイヌは物心ついたころから「動物や植物に選ばれる人間になりなさい」といって育てられるのだそうです。
アイヌは、自分たちの手元にやってきてくれた相手に対して、心を込めてお礼を伝えます。「イオマンテ/イヨマンテ(アイヌ語で「霊送り」)」という儀式を執り行うこともあります。何日もかけて準備をし、供物を捧げ、楽しく踊りながら感謝の気持ちを表します。盛大なもてなしを受けた相手は、カムイモシㇼへ戻ると「アイヌの住む大地で良い思いをたくさんしたから、みんなも行ってみるといい」と話してくれ、また違う相手がアイヌモシㇼへ下りてきてくれるとうわけです。
日本語の「自然」に該当するアイヌ語は存在しない、強いていえば「カムイ」が最も近いのかもしれない…という解釈があります。近ごろはさらに踏み込んで、日本語でいうところの「環境」がアイヌ語の「カムイ」に相当するのではないかという説も聞かれるようになってきました。いずれにしても、どちらか一方を痛めつけるようなことなく、お互いが幸せな関係を築いていきたいものだと強く願います。
生命に優劣は付けられませんが、アイヌが格の高いカムイとして特に崇めてきたのが「コタン コㇿ カムイ(集落の守り神=シマフクロウ)と「キムンカムイ(山の神=ヒグマ)」です。今回は、この2つのカムイについてお話ししましょう。
コタン コㇿ カムイ(集落の守り神)
模様の縞ではなく、北海道という“島”に暮らす日本で一番大きな体型をもつシマフクロウ。両翼を広げると2m近くになり、その存在感は言葉を失うほど圧巻です。アイヌが寝静まった後、闇夜に包まれたコタン(アイヌ語で「集落」)を低重音で響き渡る鳴き声とともに守ってくれるのです。
1983(昭和53)年11月、屈斜路コタンで75年ぶりとなる「コタン コㇿ カムイ・イオマンテ」が行われました。そのときのようすは、「シマフクロウFISH-OWL神鳥・コタンコルカムイ」(1984年5月2日初版第1刷発行・平凡社)に収録されています。100名近くのアイヌが参加したこの儀式は記録することも大切な目的だったらしく、準備段階や参加した人のインタビュー、解説などが詳細に映像や文字で残されています。
私は映像を見る機会にも恵まれましたが、最も印象的だったのは儀式の終了後に、「実際(のイオマンテ)は、こんなんじゃなかった」と言って嘆き悲しんだフチ(アイヌ語で「年配の女性」)の姿でした。1908(明治41)年以来のことであり、当時10歳にもならない幼子であったフチが唯一の生き証人だったのです。試行錯誤ながら、一生懸命携わった人たちですが、どうすることもできなかった伝統文化の断絶と時間の流れ。取り返しのつかない歴史の残酷さに、ただただ画面を見つめることしかできませんでした。
そして、人為的な自然環境の悪化に伴い、生息数を減らした神の鳥シマフクロウ。1971(昭和46)年には国の天然記念物に、1993(平成5)年には国内希少野生動植物種に指定されています。環境省は、北海道内で100組ほどのつがいがおり、今春の調査では47羽のヒナに標識が装着されたと発表しました(2023年発表情報)。保護事業が始まってから過去最高数だそうで、とても嬉しい知らせです。
釧路市には、保全医学をテーマとして活動する獣医療機関の「猛禽類医学研究所」があります。病気やケガを負ったシマフクロウやオオワシ、オジロワシなどを治療し、リハビリを行い、野生復帰させる訓練を行うなど、日々命と向き合っている獣医師さんたちがいます。
シマフクロウはとても神経質で、人の姿を見ると営巣を放棄してしまうこともあり、繁殖の成否ひいては個体群全体に影響することになります。もし見かけるようなことがあった場合は、大声を出したり近づいたり、追いかけたり、フラッシュ撮影することは絶対にやめてください。位置等がわかる情報をSNS等で公開することもお控えくださいますよう、この場を借りてお願いいたします。
キムンカムイ(山の神)
日本に生息する陸上哺乳動物の中で最も大きいヒグマ。アイヌ語で単に「カムイ」というと、ヒグマを指すこともあるほどアイヌにとっては重要な存在です。身体能力が高いことはもちろん、ほとんど飲まず食わずの冬ごもり中に子供を産むという圧倒的な生命力に、アイヌは「恐れ」と「畏れ」を抱き続けてきたのです。
各地のアイヌ語方言を収録した「分類アイヌ語辞典」(知里真志保著・昭和51年7月6日初版第1刷発行)には、雌雄や年齢、特徴で呼び分けたヒグマを表す言葉が83種も記されています。ほかの言葉と比べて群を抜く多さです。アイヌにとっていかに身近な相手だったかを、このことからも窺い知ることができます。
屈斜路方言としては、
・kamuy-caca(神・じじい)
・sike-kamuy(荷物を背負う・神)=太ったクマ
・kenasi-orun-kamuy(川岸の原・の中に出てきた・神)=川岸の木原に出てきたクマ
・suy-orun-kamuy(穴・中にいる・神)=穴ごもりしているクマ
などの表現が収録されています。
アイヌの説話の中では、クマを「じじい」として表すことが多いのだとか。太ったクマというのは、先述したように、アイヌへのみやげ物として肉をどっさり背負ってきてくれた神さまなのです。
また、性質によって二種類に分けたといいます。黒っぽい毛色のものは、おとなしいよい性質のクマで、山の真ん中に住んでいる。一方、毛色の変わった、腰から上が褐色で腹から下が灰色というようなクマは性質が悪く、人に害を及ぼすクマで、山のしもてに住む…と考えられていたそうです。あてはまる確率が高いか低いかはわかりませんが、この分析を導き出した経験値には興味がわきます。
『シマフクロウやヒグマが健康で暮らせる自然環境』これはなんといっても残し続けたい財産です。摩周・屈斜路トレイルにも野生動物が多く棲んでいます。ハイカーさんたちのようすを、陰から見つめているかもしれません。気配を感じられるよう、五感を研ぎ澄ましながら、一歩一歩進んでみてください。