脳内歩行 #03 雪と寺の町

文・写真:土屋重敏  編集:MKTマガジン

今回の脳内歩行は、とある目的で訪れた長野県飯山市での出来事がテーマになっている。“たとえ目的のある旅でも、おもしろさの要素は予想外のところにある__”「また訪れたい」そう想う背景には何があるのだろうか。雪と寺の町をふらり歩いた時、その脳内を共に歩きたい。

#03 雪と寺の町

2024年10月、信越トレイルで開催されたシンポジウムに参加するために長野県飯山市を訪れた。昨年のシンポジウムに続き2度目の飯山だ。実は長野生まれの僕でもあまり飯山のことを知らない。

長野県だって広いのだ。道東から飯山までの移動は時空を飛び越えて行くような錯覚を覚える。釧路から太平洋を飛行機で飛び越え大都市東京へ。都内を電車で素早く移動。すぐに新幹線に乗って北上するとあっという間に飯山だった。駅を出てまずはレンタカー屋さんへ。そこは予想に反して小さなガソリンスタンドだった。今日泊まる民宿はスタンドのご主人の同級生がやっているとか、300m先の宿までの道順を親切に繰り返し教えてくれた。

宿は母屋が明治時代の作りで、古いけれど趣があった。宿泊客は僕一人きり。冬はスキー客で賑わうらしい。夕食は少し離れた居酒屋に予約を入れてくれていた。夕食の時間まで人通りが疎らな町の中をブラブラと散策してみた。写真屋さんには「フジカラー」の看板、バイク屋さんのショーウインドには年代物のオートバイが置かれていたり、ノスタルジックな気分になる街並みだった。

ふと入った本屋さんの壁にはたくさんのモノクロ写真。それを眺めつつ、お店のお姉さんと四方山話に花が咲く。昔も今も冬の豪雪はたいへん__仏壇屋さんやお寺が多い__何故なら川中島の合戦の時に__と、知らない町の歴史の話は面白い。裏通りにある居酒屋は人気の店らしく少し混んでいた。箸袋には「雪と寺の町」と書いてある。なるほどね、さっきの話が符に落ちる。マスターは山菜取りと登山が好きでしょっちゅう山に行っているとか。お酒が飲めない僕も山の話、町の話で話題は尽きなかったが、明日もあるし、適当なところで話を切り上げて店を出た。

翌日からのシンポジウムは少し難しい話もあったが、アパラチアントレイルから来た方々も楽しい人達だったし、初めて歩いたブナの森は美しく、関田峠を越えると日本海が見える風景も素晴らしかった。充実した二日間となった。

滞在した飯山の町は印象深く「また訪れたいな」そんな気持ちにさせる町になった。それは偶然出会った人、町の雰囲気、歴史とか、僕の好奇心に刺激を与えてくれたからだろうか。そして、あらためて信越トレイルも歩いてみたくなった。

目的のある旅でも、おもしろさの要素は予想外のところにある。MKTを歩く人たちは弟子屈の町にも立ち寄ってくれているだろうか。弟子屈で何か予想を超えた面白さを発見してもらえたらありがたく思う。

明治時代から豪雪に耐えてたたずむ宿の建物。現代の街並みにも自然と溶け込んでいた。
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Writer

土屋 重敏(つちや しげとし)

愛称は“マメさん” 長野県東御市(旧東部町)生まれ。家は兼業農家、父は長野県伝統工芸士。幼少期は山が遊び場だった。高校まで地元で過ごし、大学進学で埼玉県へ。電気電子工学を専攻したけれど、馴染めずにモヤモヤした学生時代を過ごす。

時代はバブル絶頂期、山ほど就職先はあったけれど、ドロップアウトして自分探しの旅へ。アラン・ムーアヘッドの「恐るべき空白」を読み、荒野に行ってみたくなりオーストラリア北部へ自転車旅行。気温40℃のサバンナ地帯を乾季から雨季にかけて2カ月ウロウロ。帰国後、北海道に行きたくて、ついでに南の波照間島も目指し、日本列島を2年程ウロウロ。

そんな生活から抜け出し、都内のアウトドアショップで勤務。毎年、夏と冬に長期休暇をいただき北海道へ通う。当時は東京~釧路間がフェリーで繋がっていた(約30時間)※近海郵船 東京~釧路間のフェリーは今はもうないけれど、釧路市博物館で模型として展示されている。

都会の生活にも飽きてきたので、1995年に北海道へ移住。以来、ガイドを生業として、季節労働、山川湖で遊ぶ暮らし。未だ自分が見つからない。

NPO法人てしかがトレイルクラブ代表理事
リバー&フィールド代表
北海道アウトドア資格(カヌーガイド)
アトサヌプリトレッキングガイド

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