文・写真:土屋重敏 編集:MKTマガジン
人生だって「道」である。登ったり、下ったり、右か左か迷ったり。ときには走ったり、立ち止まって、振り返ってしまうこともある。ゴールが見えていないのも、人生の「道」の性。ある人物の「道」に焦点を当ててみた。約30年ガイドとして歩み続け、この弟子屈の土地に無数の足跡を残してきたマメさんだ。長い間歩いてきて、いま思うこととは。題して「脳内歩行」 ふらり一緒に歩いてみませんか?
#02 想像と旅の時間
昨年からMKTの一部ルートを変更しなくてはならなくなり、新しいルートの調査のために道なき山の中に入る機会が増えた。ルート予定の地形図を見て「こんなとこに、どうやってトレイルを作るんだ」と、半分やけくそ気味に山に入るけれど、意外にもそこには巨木が茂る素晴らしい森があったりする。道なき道を行くのもけっこうおもしろい。
どこに行くにも地図が必要だ。しかし、今や地図ではなくスマホのGPSアプリがあればよいという人も多い。確かに矢印通り進めばルートを間違えることはない。
トレイルを歩く=地図に描かれているルートをたどる、ことだけではないと思う。
時にルートを外れて寄り道をしたり、ちょっとくらい道に迷う方がドキドキして面白い。
知らない土地、知らない町を歩くのもまた、小さな冒険でもある。
例えば、およそ100年前に南極を探検したアプスリー・チェリーガーラードは、著書『世界最悪の旅』の中で、冒険とは知的好奇心の肉体的表現であると述べている。100年も前に−60℃の世界をいったいどうやって想像できたのか? どんな気持ちで旅立ったのか? 想像を絶する世界を彼らは想像し実行して、こうして記録を残している。
トレイルを歩くという行為、旅することには冒険的要素もたくさんあり、自己表現のひとつだ。自分の捜し求める風景、どう歩くか、自分の旅のスタイル、そこで自分はどんな体験をするのか。想像力を駆使して自分の旅のイメージを作る。計画の段階から旅はすでに始まっている。情報は必要最小限、なるべく少ない方が未知への緊張感が増して旅は面白くなる。
好奇心を満たすために想像力を駆使して未知の世界に旅立つ。どんなに小さな冒険にも100年前の探検家の言葉に通じるものがある。もちろん、100年前と現代とでは価値観も違うし、言葉の持つ意味も微妙にニュアンスが異なる。情報過多の今は、冒険的要素は少ないかもしれない。しかし、想像力を膨らまして、自分の思い描く道を求め歩くことに過去も現代も変わりはないだろう。