脳内歩行 #04 ヒグマのこと

今回の脳内歩行は、世間を騒がせているクマの話。今年はトレイルを歩くときも、道東では日々の生活の中でも、常にヒグマのことを意識せずにはいられなかった。いちばんいい対策って何だろう。果たして解決策はあるのだろうか。個人はもちろん、自治体や国も一緒に考えていくべきテーマだ。晩秋の登山道で、マメさんの脳内を巡った思いとは?

文・写真:土屋重敏  編集:MKTマガジン

#04 ヒグマのこと

10月中旬、それは友人との登山の帰り道だった。林道を車で走っていた時に突然ヒグマに出会った。子熊一頭を連れた母熊。距離は30mくらいか。車に驚いてパニックになった子熊が逃げながら木登りを2回繰り返し、登るたびにこちらを窺う。母熊はこちらをチラっと見ながら藪の中へ走った。それは一瞬だったけど、真っ黒な毛皮が艶々に光る大きなヒグマだった。その黒光りする毛皮はとても神々しく、車の中にいながら凄い恐怖を感じた。そして数年前に親子熊に襲われて重傷を負った友人の事が頭の中を過った。親子熊は危険だ。子熊を守ろうとして藪の中から突進してくるかもしれない。ゆっくりとブレーキを踏んで車を停止させた。藪の向こうの川を何かが渡っていくのがチラリと見えた。それは子熊なのか? 母熊はまだ藪の中からこちらの様子を窺っているのか?「行ったかな?」ヒグマが飛び出してくるのを警戒しながら、ゆっくりと車を走らせてその場を離れた。

今年は東北地方を中心に、クマの人身事故が多発している。今シーズンMKTの点検整備作業中にも、トレイル上でヒグマとの遭遇が2件あった。幸いにして2件とも、ヒグマが去っていってくれたので大事には至らなかった。

「ホントに襲われた時どうする?」「最後は闘わないと食べられちゃうよ」。そんな会話をしながらの山行だった。ヒグマ対策の必須アイテムといえばベアスプレーだ。噴射されるガスに含まれるカプサイシン(唐辛子の辛み成分)は、ヒグマの攻撃を抑止してくれる。しかし、気をつけないとベアスプレーは人間にもダメージが大きい。TTCのメンバーと古くなったベアスプレーを試射したときに、どこからともなく漂ってきたガスを浴びてしまいひどい目にあったことがある。発射の際にはしっかりと風向きを確認しなければいけないし、その場の状況によってはスプレーが使えないこともある。ベアスプレーが使えないとなったら「クマが攻撃してきたらうつぶせになって防御姿勢をとって…」という対処の仕方もあるけれど、ガリガリとヒグマにかじられるのに自分は耐えられるだろうか?

友人はベアスプレーの横にシースナイフをつけている。あの大きなヒグマに遭遇した後に「これじゃ無理だわ」と二人で苦笑いしたが、北海道の研究機関や研究者の中には「万が一に備えて、鉈を持つことも必要」といったアドバイスもある。登山に大きな鉈を持っていくのは重すぎるし、周りの人たちの目も気になる。しかし、ナイフなどでヒグマを撃退した例もいくつかある。今野保氏の著書『羆吼ゆる山』の中には、アイヌの男性が短刀一本でクマを討ち取るエピソードが書かれている。しかし、果たして、本当に自分にそんなことができるだろうか? どうやってもあの巨体のヒグマに勝てそうもないが。

ヒグマと対峙するより、まずは、突然ばったりと出会わないようにするのが一番だろう。鈴をつけたり、声を出したり、ホイッスルを鳴らしたり、自身の存在を積極的に知らせる音を出すことは有効だと思う。

様々なヒグマ情報がある中で、みなさんはヒグマ対策をどうしてますか?

北海道でアウトドアスポーツ、アウトドアレジャーを楽しむことは、必然的にヒグマの住む領域に入ることを意味する。ヒグマと遭遇することをリスクとして認識しなければならない。北海道の先住民族アイヌは ヒグマをキムンカムイ(山の神)と呼ぶ。ヒグマは北海道の自然の象徴だと思う。ヒグマは常にそこに存在するものだ。もうしばらくするとキムンカムイも冬眠に入る季節。けれど、いつもその存在を意識して、畏怖の念を持って山に入りたいものだ。

10月中旬、親子熊に遭遇したのは道東・標津岳(標高1061m)の下山中の出来事だった。西竹山の奥には根釧台地が広がる。
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Writer

土屋 重敏(つちや しげとし)

愛称は“マメさん” 長野県東御市(旧東部町)生まれ。家は兼業農家、父は長野県伝統工芸士。幼少期は山が遊び場だった。高校まで地元で過ごし、大学進学で埼玉県へ。電気電子工学を専攻したけれど、馴染めずにモヤモヤした学生時代を過ごす。

時代はバブル絶頂期、山ほど就職先はあったけれど、ドロップアウトして自分探しの旅へ。アラン・ムーアヘッドの「恐るべき空白」を読み、荒野に行ってみたくなりオーストラリア北部へ自転車旅行。気温40℃のサバンナ地帯を乾季から雨季にかけて2カ月ウロウロ。帰国後、北海道に行きたくて、ついでに南の波照間島も目指し、日本列島を2年程ウロウロ。

そんな生活から抜け出し、都内のアウトドアショップで勤務。毎年、夏と冬に長期休暇をいただき北海道へ通う。当時は東京~釧路間がフェリーで繋がっていた(約30時間)※近海郵船 東京~釧路間のフェリーは今はもうないけれど、釧路市博物館で模型として展示されている。

都会の生活にも飽きてきたので、1995年に北海道へ移住。以来、ガイドを生業として、季節労働、山川湖で遊ぶ暮らし。未だ自分が見つからない。

NPO法人てしかがトレイルクラブ代表理事
リバー&フィールド代表
北海道アウトドア資格(カヌーガイド)
アトサヌプリトレッキングガイド

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